4/29/2009

Extreme 19th 初のパー(パドレイグ・ハリントン)


Extreme 19thでプロゴルファー初のパーを達成したパドレイグ・ハリントン


以前ご紹介しました、南アフリカにあるExtreme 19th(以前の記事)という超絶なパー3のホールを、アイルランドのパドレイグ・ハリントンとフランスのラファエル・ジャクリンが実際にプレーしたビデオが最近話題になっていて、あちこちのブログで取り上げられています。
Yahoo Sportsで取り上げられた記事が、今月の4月2日だったからかも知れません。)


そのうちのひとつをリンクしてみます。
The hardest golf shot in the world... (DailyMail.co.uk)


写真は、上のリンク先にあるものです。


↑このリンク先にもYouTubeの動画がリンクされて置いてありますが、まずは百聞は一見にしかず、この驚くべき動画をご覧下さい。

私もこちらに貼り付けておきます。↓



実際にプレーされたのは、どうも今年の1月26日あたりのようですね。

情報がちょっと錯綜していて、ハリントンとジャクリンがプレーオフで19番ホールをプレーした(どの大会とは書かれておらず)とか書いてあったりしますが、これはこの19番ホールはトーナメントではプレーオフにしか使わない、とされている為に勘違いされたのだろうと思います。

他にも、映像から見て、ハリントンもジャクリンも3Wを打ったようだ。とか、いろいろと憶測が書かれている状態です。(笑)


いやー、それにしてもすごいですね。
さすがメジャー・チャンプのパドレイグ・ハリントン。ここ2年で3つもメジャーを勝っているだけのことはあります。

動画中の、打つ前の画像をご覧下さい。



遙か彼方下の方に、あんなにちっちゃく見えるグリーンに打っていくなんて、もう尋常な技ではありません。


動画を見ますと、



ハリントンのボールはグリーンをわずかに左に外して、コート・ジ・ボワールの海岸沖ぐらいのところの砂地に(白丸印)、ジャクリンのボールはカメルーン辺りのところ(ピンク丸印)にワンオンしています。なんという正確なショット!
ピンの位置は、ちょうどボツワナの辺りですね。

カップまでは約35yのアプローチ。
ここからハリントンは見事に寄せて、記念すべきプロゴルファー初のパーを記録したのです。
ジャクリンの方は、せっかくワンオンしていたのに3パットしてしまい、パーを逃しています。惜しいなぁ。


パドレイグ・ハリントンの公式ホームページを見てみました。

どうもですね、使ったのはドライバーだと書いてあります。

練習を4球ほど打ち、風の影響などを考慮した上でのプレーとなったようです。
しかも、練習球のうち1球は、カップからわずか5フィート(1.5m)のところに落ちたんだそうです。スゲー。


ハリントンも、ジャクリンも、このLegend Golf & Safari Resortを設計した18人のプロのうちの一人です。
ハリントンが担当したのは、10番ホールだそうです。


書き忘れていましたが、直線距離にすると約720yも先にグリーンがあるこのホール、打った人にはボールは途中から見えなくなるらしいです。
そこで、4つのボール追跡カメラが監視して、下ではフォアキャディがボールの落下地点を教えてくれるそうです。
てか、それは命がけの仕事なのでは?(笑)
その以前に、グリーンどころかフェアウエーと併せても上から見るとちっちゃ過ぎて、とても一般アマチュアのショットがその範囲に収まるとは思えないんですけども。



4/26/2009

競技ゴルフ-2 (ダッド・ミラーの4)


以前はよく練習しに行っていたDad Millerへ、久しぶりに行って来ました。

毎月1回場所を変えて24人規模でコンペを行うグループでのラウンドで、ルールに忠実にプレーします。
ロストボールも暫定球が無ければ戻って打ちますし、完全ホールアウト制です。
グリーン周りも乗っている乗っていないに関わらずピンから遠い人から打ちますし、前4 もありません。
(私は、月によって参加したりしなかったりします。)

地元ゴルファーばかり50人ぐらいのグループで、腕前も年齢も色々で、なかなか楽しいんです。

ハンディキャップでAフラッグとBフラッグに分け、ドラコンとニアピンは2本ずつ旗が立ちます。
パット数と、フェウエイヒット&GIR(パーオン数)もポイントが付けられます。
(私自身の記録には、カラーからのパットもパット数に入れていますが、グループ内での成績にはカラーからのパットは含まれません。)


今回のダッド・ミラーは、(タイガーが中学生時代の学校のホームコースとは言え)価格的にもレイアウト的にも距離的にもユーザーフレンドリーな、極めて癒し系のコースです。
(それが最近足が遠のいていた理由のひとつだったりもします。)

タイガーがプレーしていた頃は、650y超のパー6があったように聞いてます。
もっとも、改造してドライビングレンジの場所が変わりこのホールは無くなり、その後タイガーの学校が建った、って話ですが。





青ティーからでもコースレート/スロープは68.6/116、パーは35・36=71です。

1 4 - 0 6S
2 4 △ 2 D9-2-(3パット)
3 4 - 0 U9S
4 4 - 1 U17A
5 4 - 0 D17A
6 4 △ 1 3A
7 3 - / 7B
8 5 - 0 5A
9 3 ◯ / U⑬

10 5 □  0 2B
11 3 - /
12 4 - 0 12B
13 3 ◯ /
14 4 - 0 10S
15 5 - 0 7B
16 3 △ / 16BS
17 4 - 0 U17AL-①
18 5 - 0 3B

36(18)・38(16)= 74(34)


ここでの醍醐味は、各ホールが隣接している部分が多くセパレートしているのが林ではなくて1レイヤーの木々になっている部分が結構あり、隣のホールのラフとかフェアウエーから、変化球を使えば第2打のリカバリーショットを打てるところでしょうか。
下から上から右から左からと、様々な変化球を駆使してグリーンを攻めることが出来たり出来なかったり。(笑)

この日も2番ホールでは、木の間に低く抜け出てから80度ぐらい大きく曲がるフックを使って9歩(約6m半)に乗っけたんですが(^^;、「この棚ぼたボーナスはキャッシュインしなきゃいかん」と気張ってしまったために3パットしてしまいました。せっかくのリカバリーが・・・!(笑)

もちろんティーショットは曲げない方がいいスコアにつながることには違いありませんけど。

10番の素ダボがもったいなかったです。グリーンを外した後のアプローチ、グリーンからピンまでの距離が無くて下っていてグリーン面へは打ち上げでしたので、(出来ないのに)寄せようと思ってショートしまして。
ボギーオン(じゃ無くてダボオンでしたね)で2歩(1m半)につけたもののこれを外してしまいました。


混んでる週末にここでプレーしますと、あちこちから「FORE!」の声が飛んできまして、しかもどの方向から来るのか分からない、グリーン上に居ても油断できない、というスリルが味わえます。(笑)


ニアピンの旗は3回立てましたけど、一個も取れませんでした。(まぁ第1組でしたからね。)
到底残らないと思ったあまり飛んでいないドラコンは取れました。みんなラフへ行ったんですね、たぶん。

ベスグロとベストネットを獲得しました。(ベストネットだった場合のベスグロは、次点のひとに譲ることになってますけど。)
このコンペでは初めてです。(^^)


4/24/2009

ヒューストン旅行


先週、子供の学校が春休みって言うことで、ヒューストンに家族旅行に行きました。
(私は以前独身時代にダラスには行ったことがあったのですが、ヒューストンは初めてです。)


まずはNASAのスペース・センターに行きまして。
子供達が楽しく遊べる科学館みたいになっているんですが、その一角からトラムに乗ってNASAの敷地内に見学に行くことも出来ます。

うちの息子くんもはしゃいで喜んでいましたが、私の方が楽しかったかもしれません。(^^;



こちらは、スペースセンター内にある模型のロケットですが、



こちらは、NASAの敷地内にあるサターンV ロケットの2段目部分です。
このロケットは本当にでかいですね。

現在のスペースシャトル計画の場合は、フロリダのケネディ・スペース・センターから打ち上げるのですが、通信は「こちらヒューストン、こちらヒューストン。」って感じで、このジョンソン・スペース・センターで行っています。

私は、こんな話がそれまでのヒューストンの思い出でした。

大学院の研究室に所属していた時代に、毛利衛先生と向井千秋さん(当時は内藤さんでした)と土井隆雄さんが日本人初のスペースシャトルの宇宙飛行士として宇宙に向かう直前に、うちの研究室で依頼していた無重力下での実験の練習をしに2週間ほど滞在したんですね。
親善のソフトボールなんかもやりました。
毛利先生のスパッタリング(真空蒸着)の本を持っていましたので、(ミーハーに)サインもらったりしましてね。

打ち上げ当時は、うちの研究室の先生がヒューストンの管制センターに地上からのサポート部隊ということでヒューストン入りしていたんですが、この先生熱烈な南海ホークスファンでして。
当時ダイエーに身売りされてしまい、ご本人は悩みに悩んだ挙句、ダイエーになっても応援していこう、と心に決め、新しく出たばかりの背中に大きく鷹の絵の入った革のスタジアムジャンパーを着ていた訳です。

で、打ち上げの時にTVで注目してみていたら、管制室に人影が小さく写っていたんですが、背中に大きな鷹を背負ってる人が映っているじゃないですか。(笑)

「あ!M島先生だ。」なんて、みんなで盛り上がった、そんな思い出です。(笑)



そして、ヒューストンといえば私にとってはノーラン・ライアンです。
郊外のちいさな田舎町、Alvinというところがライアンの生まれ故郷なのですが、せっかくですから行って来ました。



これは、「ようこそノーラン・ライアンの生まれ故郷へ」という、町の看板のところで記念写真を撮ったものです。(^^)


そして、ヒューストン・アストロズの新しくなった野球場、ミニッツメイド・パークへも行って来ました。



球場の前にも古いSLの保存車両が置いてありまして、球場の中にもSLの模型がありましたし、ポップコーン屋さんの屋台にもSLの格好をしたのがあって、汽車が大好きなうちの息子くんは大喜び。

スタンドでは、(よく分かってないもんですがら)大きな声で「レッツゴー、エンジェルズ、レッツゴー!!」ってやっちゃいまして、周りに人みんなから振り向かれてしまいました。(笑)


そして、私はヒューストン近郊は海に面しているって認識をあまりちゃんと持っていなかったんですが(^^;、海際にあるKemahという町にも行って来ました。



ここには水族館やちょっとした遊園地があったりして、子供達も喜んでくれました。


実際に訪れてみると、イメージどおりのところもあるしイメージと違っていたところもあるし、やっぱり行って見ると楽しいなぁ、と思うのでした。