お友達のUスケさんの新しい相棒、コンダクタープロ 302Eについて、知らないくせに記事書いてみます。(^^;
願わくば、さらなる追加情報や訂正情報がコメントに入ることを願ってみたりしてます。m(__)m
追記: 写真はUスケさんのクラブです。(^^)
ほかにそうは無いと思いますので、Uスケさんのまさにクラブかもしれませんね。そしたら、写真撮って提供していただけますでしょうか?
差し替えますので。(^^;
マルマンのクラブは私がゴルフ始めた’85年頃に猛威を振るって(というか流行って)いたので、少しは覚えています。
SPSS理論という、芯の位置を全部のアイアンで6:4にしてアベレージゴルファーでも打ちやすくなっているというクラブ設計で、ガスライター屋さんがゴルフ用具業界に台頭してきたんです。
当時のクラブは(今でもヘッドターンを想定している種類のプロモデルなんかはそうだと思いますが)、ロングアイアンほど重心がネック寄りの位置にあって、番手によって打点がフローしていたんですよね。
ダンガンってクラブ(確かFW?)の後、ギネスっていう低重心のアイアンがバカ売れしました。
ギネスIIってアイアンはものすごく売れて、すごい人数のゴルファーが使ってましたね。
低重心故に、ロフトを立ててもボールが上がるってことで、ロフトを立ててありまして、今のストロングロフトの走りになりました。
8番で6番の距離が打てるんですが、ほとんど6番のロフトだったんです。
3番4番はさすがにあんまり立っていなくて、3-5番あたりのロフト間隔が2-3度とかやけに詰まっているセットでしたが(ショートアイアンがぶっ飛んでくれる訳です)、それは良く売れたんです。
(私は、所有したことは無いんですけど、貸してもらって打ってみると確かに2番手くらい違った記憶があります。)
それから、マルマンソールっていう、ソールが4方向に丸くなっているソールを開発。
これは抜けが良いソールでしたので、当時の日本の高麗芝が多かったゴルフ場のラフにマッチしまして、ますます良く売れました。
日本ゴルフ用具界でシェアをぐーっと拡げた後、勢いに乗ってコンダクターというプロ向けモデルのシリーズも出し始め、有名契約プロも作りました。
芹沢信夫とか、イアン・ウーズナム、カーティス・ストレンジとかです。
ただ、もともとSPSSがプロ向けのデザインではありませんでしたから、そんなに人気にはならなかったような印象を持ってます。
中でもウーズナムは、コンダクターのアイアンを使って、なんとマスターズに優勝してしまいました。
これが、’91年です。
モデルは、コンダクタープロ SXってモデルのクラブだと思いますけど、定かではありません。
(トッププロっていつもプロトタイプ使ってますしね。)
カーティス・ストレンジがマルマンと契約したのも、2度目のUSオープンを勝った89年より後だったかなー、と思います。
コンダクターのプロ使用モデルの市販は、ですから’89-90年前後くらいではないでしょうかね?
プロトタイプはもっと早い時期かもしれませんけど。
ですから、ミズノのMP-11と同時期ではないと思います。
MP-11は’80年以前かそのあたりの頃にもう出ていますよね?
これは全くの余談ですが、私はミズノのクラブは、
同級生の女の子の親御さんが広島の方で関係者でしたので当時の新商品のPWを安く調達してもらった経験があるのですが、(初心者向けのモデルだったと思うんですが)これが全く私には合わなくって使いこなせませんで、実はそれ以来1本も使ったことがありません。
ミズノでは、トミー中島のTM-87(これも名器ですよね。)が87年ですから、このあたりが同世代機になるんじゃないかなー、と思ったりします。
コンダクタープロ 302Eっていうモデル自体の記憶が無くって申し訳ないんですが、画像を拝見しますと、マグレガーのマッスルバックとかTM-87とかと、よく似てますよね。
その後のコンダクター・シリーズには、ハーフキャビティとかのモデルが多くて、純マッスルバックなデザインはそう沢山は無いと思いますので、302Eっていうのは、SXの後ぐらいに出たんじゃないかなぁ?とか思ったりします。(単なるあてずっぽうの推測です。(^^;)
ウーズナムが使っていたらしいコンダクタープロ SXも含めて、この頃のプロ用アイアン・シリーズは、結構どこのクラブも中身は(詳しくは存じ上げませんけど)三浦技研さんが作っていたのではないかと思います。
マルマンの場合は特に、プロ仕様のノウハウがあまり無かったはずですから、「三浦技研にまる投げ」って感じだったんじゃないでしょうか、きっと。
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さらに余談ですが、私の大学の工学科の元同級生に1人、マルマンの開発部に入った人物がいます。
当時そんな制度は持っていなかったマルマンに直談判に行き、社長さんから直接承諾をいただいて、奨学金を出してもらって大学院に進み、卒業後にマルマン入りしました。
その後退社してゴルフ屋のおやじさんをやってた頃に、晴海のゴルフショーで再会しました。
(あちらはお仕事、こちらは遊びで見に行ってただけでした。(^^;)
彼はゴルフが好きでしかもとても上手だったんですけど、そんなこと言ってもなかなか出来ないすごい話だった、と今でも思っています。(^^)
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追記:
選ばれし物さんから貴重な情報をいただけまして、
>発売は1992年秋頃では
>(当時)価格22万円 10本セットでの販売
だそうです。(^^)
ありがとうございました!m(__)m
Uスケさん、写真差し替えました。(^^)